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川村 真樹 (かわむら まき、1979年2月9日〔「世界の登竜門 「楽しんで踊れた」」 岩手日報、1995年2月13日夕刊、7面〕 - )は、岩手県出身のバレリーナ。英国ロイヤル・バレエ学校卒。1999年秋より東京の新国立劇場バレエ団に所属する。 長身で手足の長さに恵まれ、踊りはしばしば「気品ある美しさ」と評せられている〔例として、“長身の伸びやかなラインやしとやかな風情には気品高い美しさがあるが・・・” (長野由紀 「新国立劇場・白鳥の湖──ヒロイン2人、対照的な持ち味」 日本経済新聞、2010年1月27日夕刊、20面)、“凛とした気品を感じさせながらも優しく王子を導く川村のリラの精は・・・” (守山美花 「川村真樹」 Danza 第20号 2009年2・3月号 〔第5巻第1号〕、p.9) 〕。 == 来歴 == 岩手県滝沢村(現・滝沢市)出身〔「ローザンヌ国際バレエ 川村さんが入賞」 岩手日報、1995年2月7日朝刊、17面〕。5歳のときバスで10分の距離〔「ロイヤルで苦手な動きを克服 川村真樹」 ダンスマガジン 1997年11月号 〔第7巻第12号〕、新書館、p.57.〕にある盛岡市の黒沢智子にバレエを習い始める。引っ込み思案な性格を心配した祖母が連れて行ったのが始まりだという〔『バレリーナへの道』 No.24、文園社、1999年5月、ISBN 4-89336-135-X、p.120.〕。1994年に地元の滝沢南中学校を卒業した後も、進学せずに黒沢の下でバレエの研鑽を続けていた〔。 1994年8月、日本バレエ協会が主宰する全日本バレエコンクールのジュニア部門で第1位となる〔「全日本バレエ・コンクール開催年譜 」 日本バレエ協会〕。翌1995年2月、15歳のとき、モスクワでの開催となったローザンヌ国際バレエコンクールにおいてスカラシップ賞を受賞した。このとき審査員の一人であった堀内元は川村について、「・・・表現力があり、色気もあって魅力的。女性ではベストと思った」〔佐々木三重子 「ローザンヌ国際バレエ 審査員の堀内元氏に聞く」 読売新聞、1995年2月24日東京夕刊、11面〕という。 奨学金を得てロイヤル・バレエ学校に入学し、1997年夏に卒業するまで2年間学ぶ〔。最終学年となった2年目にはK・ズヴェレビロワに師事し、のちにバーミンガム・ロイヤル・バレエ団でプリンシパルとなるキャロル=アン・ミラー と成績1位を争った〔前掲 『バレリーナへの道』 No.24、および "The soubrette speaks out", ''Dancing Times'', October 2011 (Vol.201 No.1214) p.18. 両記事で川村とミラーは互いの名前を出していないが、二人は共にズヴェレビロワに学んでおり、かつ1997年卒だった。〕。川村は卒業後に帰国し、黒沢の下で助教を務めていた〔「門下生(11)川村真樹」(黒沢智子 『私にはバレエがある』、1998年、IBC岩手放送編、p.216)〕。 1999年秋から新国立劇場バレエ団の契約ダンサーとなる。最初のシーズンで石井潤振付 『十二夜』 の主役ヴァイオラに抜擢される。全幕物では初めての主役として2007年に 『眠れる森の美女』 でオーロラ姫を踊った。その後は 『白鳥の湖』、『ライモンダ』 など、主に古典作品で主役を務めている。2011年5月に最高位のプリンシパルとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「川村真樹 (バレエダンサー)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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